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「商業教育の歴史」

様々な書籍から抜き出したものを簡単にまとめる。

年号西暦出来事備考
・・・・・・ 寺子屋、丁稚制度、家訓の存在 ・・・
明治5年1872年 8月3日 学制公布 わが国はじめての学校教育制度が開かれる。明治6年から全国的に施行。学制による商業学校は規定されているが実際には設立されていない。
明治7年1874年 大蔵省銀行課内銀行学局 当時創業した国立銀行の事務の教授が行われる。
明治8年1875年 8月 東京における商法講習所 森有礼が創設。現一橋大学。外国仲買人が牛耳っていた外国貿易従事者の養成を行う。商法は商業を意味する。
明治11年1878年 1月 神戸商業講習所 兵庫県立神戸商業高等学校。貿易港神戸が必要とした商業知識人養成を目的。当初は運営を慶応義塾に委託。
明治11年1878年 3月 三菱商業学校 三菱会社社員養成の目的で設立。明治15年(1884年)に廃校。
明治12年1879年 教育令 明治13年には教育令改正。小学校、中学校などとならんで商業学校が規程されている。教育令第8条「商業学校は商売の学業を授くる所とす」。
明治13年1880年 10月 岡山商法講習所 明治年代3番目の商業機関。初代所長の箕浦勝人は神戸商業講習所と兼務。一旦廃校になるが、岡山県商業学校として復活。(現岡山県立岡山東商業高等学校
明治13年1880年 11月 大阪商業講習所 大阪財界有志により設立。現大阪市立大学大阪市立大阪ビジネスフロンティア高等学校(音が出ます注意)
明治15年1882年 横浜商法学校 創設当初職員5名生徒4名。当初の学科目は商業・英語・漢書。東京の商法講習所、神戸商業講習所、大阪商業講習所と売買取引の実習を行った。現横浜市立横浜商業高等学校横浜市立大学
明治16年1883年 11月 北越興商会附属新潟商業学校 新潟県立新潟商業高等学校
明治17年1884年 1月 「商業学校通則」制定公布
日本最初の商業教育関係規則。この通則が公布された明治17年を商業教育創始期としている。
商業教育が法制化され制度として行われるようになる。しかし入学志願者の数は少ない。
第1種:中等商業教育、2年、商業自営者養成
第2種:高等商業教育、3年、商業を処理する者養成
第1種商業(明治17~22年):名古屋商業・赤間関商業・長崎商業滋賀県商業函館商業・大阪商業・尾道商業・東京商業
明治17年1884年 10月 赤間関商業講習所 教授科目は神戸商業講習所を範として設定。現下関商業高等学校
明治18年1885年 内閣創設 初代文部大臣に森有礼。
明治20年1887年 日本初の官立高等商業学校の東京高等商業学校が設立。 東京商業学校から改編される。
明治26年1893年 11月「実業補習学校規程」公布 尋常小学校を卒業しただけで労働に従事しているものに対しての制度。
明治27年1894年 6月「実業教育費国庫補助法」制定
明治32年1899年 4月1日より「商業学校通則」廃止。
2月「実業学校令」公布、それに基づき「商業学校規程」が制定される。
1種2種の区別を廃止し、甲種乙種とする。修業年限3年。
明治35年1902年 第2官立高商として神戸高等商業学校設立。 神戸大学
明治36年1903年 専門学校令
明治45年1912年 甲種商業学校67校(21,597人)
乙種商業学校32校(4,589人)
大正3年1914年 商業学校規程改正 甲種乙種の名称上の別を廃止。甲種商業学校に修業年限1年の第2部を設けた。
大正7年1918年 「大学令」公布 帝国大学以外も認められ高等教育機関が大拡充される。大正9年の東京商科大学や慶応・早稲田・明治・中央・日本大学等。
大正9年1920年 我が国最初の商科の単科大学が出来る 東京高等商業学校が東京商科大学に昇格。官立単科大学としても日本最初。
大正10年1921年 甲種商業学校118校、乙種商業学校39校
大正10年1921年 商業学校規定改定 夜間商業学校制度創設。
甲種乙種の区別を廃止。
女子の商業学校が認められることとなった(女子商業学校の学科目に対する規定が設けられた)。
大正14年1925年 単独の女子商業学校11校
大正15年1926年 商業学校は251校となる
昭和15年1940年 12月9日 進学制限の文部省通達。
「実業学校卒業者の上級学校進学に関する件」文部省実業学務局長名にて。
商業学校から上級学校へ進学する者の数を、およそ1割に制限するとの文部省通達が出される。この影響で商業学校への入学志願者が減少。
昭和18年1943年 1月 「中学校令」公布 中学校令によって、中学校令・高等女学校令・実業学校令の3勅令は、1つの中等学校令に統合される。商業学校の修業年限は1年短縮され4年となる。
昭和18年1943年 商業学校規定が実業学校規定に統一される 教科は実業教科と呼び、科目も6科目のみとなる。
昭和18年1943年 10月23日「教育に関する戦時非常措置方策」文部次官通牒 男子中等商業学校が整理統合される。商業学校は工業・農業・女子商業に転換することとなる。
昭和19年3月 男子商業学校441校 → 4月 48校。女子商業学校53校を含めても計101校。
昭和18年1943年 戦時非常措置方策に伴い、専門学校規程を統一し、官立高等商業学校の名称を変更する。 高岡・彦根・和歌山→工業専門学校
横浜・名古屋・長崎→工業経営専門学校
東京商科大学付属小学専門部→工業経営専門部
山口・小樽・福島・高松・大分→経済専門学校
昭和20年1945年終戦
昭和21年1946年 男子商業学校336校、女子商業学校182校 戦後1年にしておおむね戦前の最盛期の数まで復活。
昭和22年1947年 3月「教育基本法」・「学校教育法」公布
昭和23年1948年 高等学校設置基準 普通教育を主とする学科と専門教育を主とする学科とに分けられる。
昭和23年1948年 4月から新制の商業高等学校が発足 6月1日の総数は296校。旧制商業学校の約60パーセントしか昇格しなかった。
昭和24年1949年 単独制商業高等学校は71校(大部分は東京を中心として東日本)。 商業高等学校は姿を消し、多くが総合制の高等学校の商業科となる。占領軍が高校3原則を打ち出している(①総合性②男女共学③小学区制)影響。
昭和24年1949年 6月 文部省に初等中等教育局新設。その中に職業教育課が設置。
昭和24年1949年 「職業教育及び職業指導審議会」(文部大臣諮問機関として7月設置)が「高等学校総合問題に関する決議」を発表(11月)。 職業教育の重視が唱えられる。この決議を契機として単独制復帰の動向が復活。
昭和25年1950年 高等学校学習指導要領 商業科編(試案)発表
昭和25年1950年 全商が珠算実務検定開始 翌26年度には簿記実務検定を開始。
昭和26年1951年 6月「産業教育振興法」制定公布 産業教育審議会が設置。翌27年度から産業教育の施設・設備について国庫補助が行われるようになる。商業の学科の学校数・生徒数が増加。
昭和26年1951年 女子生徒の比率は20%に満たない程度 その後、31.9%(昭和30年) → 51.1%(38年) → 67.9%(50年)と年々増加している。
昭和28年1953年 商業科目担当教員の不足に対して、7月に中央産業教育審議会において教員養成の必要性が建議される。 これを機に、小樽商科大学和歌山大学山口大学において商業教員養成のための制度が設けられる。2009年現在では山口大学経済学部商業教員養成課程のみが現存する。
昭和31年1956年 学習指導要領全面改訂(No.2)
昭和35年1960年 学習指導要領改訂(No.3)
昭和41年1966年 中央産業教育審議会が「理科教育及び産業教育審議会」に改編。
昭和42年1967年 8月に理産審が「高等学校における職業教育の多様化について」の第1回答申を行う。45年の指導要領改訂に活かされる。 商業科以外に5つの学科が示された(事務科、経理科、営業科(販売科)、貿易科、秘書科)。女子の増加に対応した秘書科が示されたのが特徴。
昭和44年1969年 12月に理産審が「高等学校における情報処理教育の推進について」の建議を行う。 これにより昭和45年に「情報処理教育センター設置要領」が文部省から発表される。
昭和45年1970年 学習指導要領改訂(No.4)
昭和51年1976年 5月「職業教育の改善に関する委員会」審議結果を報告 同委員会は①高校進学率の増加②40年代後半からの職業学科への入学志願者減少③職業学科から大学への進学希望者増加等へ対応するために開かれた。
昭和51年1976年 10月理産審「高等学校における産業教育のための実務・実習の施設及び設備の基準の改訂について」を文部大臣に建議 昭和39年改訂以来の新基準。商業に関する学科群の基準は、設備面で飛躍的に引き上げられる。
昭和53年1978年 学習指導要領改訂(No.5)
昭和60年1985年 共通第一次学力試験で簿記会計の選択が可能となる
平成1年1989年 学習指導要領改訂(No.6)

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